帰信寺
- 住所 全北特別自治も金堤CITY 金山面清道6通り40
- 利用時間 年中無休
- 料金 無料
- ホームページ http://www.gimje.go.kr
- 電話番号
- 帰信寺(063-548-0917)
観光地紹介
ヤン・グィジャの小説 ‘スムンコッ’(1992年、李箱文学賞大賞)の舞台でもある帰信寺は作中で帰信寺のことを ‘霊園を彷徨い疲れた神が休みに帰って来る場所’と表現しています。
階段を上ると水平的なイメージよりは垂直的なイメージの方が強い、知恵の光を照らすという毘廬遮那仏を主仏とした大寂光殿がすぐ見える帰信寺は新羅文武王16年に義相大師が新羅王室の支援を受けて築造した華厳十刹 (三国を統一した新羅は高句麗や百済との接近地域に思想的な統一のため、または政治的な理由で建てた寺)の一つとして百済の中で建てられた新羅系の寺だと言えます。もう1つは百済王室のネウォン寺刹(資福寺刹: 百済王室の福を祈るお寺)で初めて作られたと主張する説もあります。その理由として大寂光殿の裏側にある石獣と男根石を根拠にしています。寺の中に男根石を設置するのは百済王室の資福寺刹でしか見られない特徴です。
男根石があるもう一つの説があり、こちらが風水地理上拘脣穴に当たるため陰気を押さえるために建てたという説もあります。 創建当時の寺の名は国信寺(国信寺)であり、狗脣寺(狗脣寺), 帰信寺(帰信寺)などに改名されましたが、それぞれの名前がどの時期に変わったかは不明です。
帰信寺は金山寺の威勢に押されて今は小さな寺のように見えますが、壬辰倭乱の当時は僧兵の養成地でもあり、ひと時は金山寺が末寺でもあった時代がありました。寺の規模を推測させるのは帰信寺に入る前に田の真ん中にある帰信寺の浮屠と帰信寺から西へ100m離れた所にある清道里の3重石塔があります。ひと時8つの庵があったほど清道里の3重石塔は帰信寺に付属していた庵で建立したものと推定されます。